帰り道の古本屋で一冊の本を買った。

その小説家が書いた自慢げなメタファーが僕にはよくわからなかった。

何のために生きているのかも ついでにわからなくなった。

常に何かを演じていた。

もしくはそんな気がしていた。

僕は他者や時により、幾つもある都合のいい「〇〇〇〇(本名)」という人間を作り上げた。

加藤清五郎もそのひとつだ。

誰にでもよく見られようとする数多の自分はあまりにも本来の自分自身のように思えず、自分のことを好きになれなくなっていった。

なぜ誰にでも良く見られようとするのかもわからなかった。

誰のためにそれをしているのかすらわからないから。

自分が何なのかがわからなくなるにつれ、誰にでもよく思われようとすることだけが本当の自分のように思えて、余計腹がたった。

評価されるのが得意だった。

親に、友達に、世間に、人に、何が受けるのか、そして自分は何ができるのかを人よりもよく知っていた。

そしてそれに合わせて行動してきた。

サッカーの才能はないと気づきなんとなく遊びに切り替え、全国模試の決勝ではなんとなく大人の好きそうな作文を書いてなんとなくいい順位をとった。

別に楽しかった。